日常のことから、人との出会い、本からの学び書いています

智慧に至る道

「智慧に至る道は、けっして百合の咲く芝生を通ってはいない。
われわれは、常に草木の生えていない絶壁をよじ登らなくてはならない。」
~ジョン・ランスキン~

極楽浄土とか、天国とか、同じように現世を生きるうえでも、
自己を探求するのにも、そういうことを期待するのが人間か。

智慧に至る道
=======================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/



マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタントへ
にほんブログ村

FC2ブログランキング
スポンサーサイト

真理を発見せよ

真理の探究は、はしゃぎながらできるものではなく、
常に動揺と不安を伴うものである。
しかし、それでも真理は探究されねばならない。
なぜなら、真理を発見し、これを愛することなしには、
君は滅びるからであろうから。

しかしながら、もし真理が私に探してもらいたがり、
愛してもらいたがったら、
自分のほうから姿を現したらいい、
と君はいうかもしれない。

真理は姿を現しているのだけれど、
君がそれに注意を向けないのだ。
真理を探すがよい・・・・・・
・・・・・真理は探されることを求めている。
~パスカル~

私たちは、「なぜ、生まれきたのか」という疑問を持つ。
断言しよう「真理を発見し(出会い)、愛するためである」
それ以外にはない。
けっして、摂食、生殖、欲望を満たすために生まれてきたのではない。

真理を発見せよ
=======================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/



マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタントへ
にほんブログ村

FC2ブログランキング

狭き門よりは入れ

「狭き門よりは入れ。けだし滅びに至る門は広く、その道も幅広くして、これより入るもの多し。
げに命に至る門は狭く、その道は狭くして、これを見出す者少なし。」
(「マタイ伝」第七章十三、十四節)

鉄則です。
しかし、これがなかなか実際には難しい。
如何に我々が環境の動物であり、環境に支配されているかということでしょう。
人が見ないものを見、人が行かないところへ行き、人が嫌う人と付き合うという心掛けがいる。
環境や社会に支配されないということは、それぐらいの覚悟がいるものなのだ。

他人と同じように生きながら、特別な生き方を手に入れたいと願う人は多い。

狭き門よりは入れ
=======================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/



マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタントへ
にほんブログ村

FC2ブログランキング

団体、組織は専制的である

「高級聖職者集団による教会支配は、それが君主制的であろうと貴族制てきであろうと、
はたまた民主瀬的であろうと、それは単にそれぞれの教会の内部事情によるものにすぎない。
教会自体は、どんな形式的なものであろうと常に専制的である。
信仰箇条が根本的な掟とされるところでは必ず、自分たちは、目に見えない、
世界を司る神の意思の守護者・解説者として権利を与えられた唯一の存在であるから、
理性も学問も全然必要なく、別に人々を説得しないでも人々に指図さえすればいい、
と考える僧侶集団がいるからである。」
~カント~

政治団体、宗教団体、企業団体、〇〇団体という組織は必ず同じ道を辿り、やがて腐敗、癒着、汚職を招く。
どの団体も、最初は純粋な目的を持って歩き始める。
ある時期を過ぎると、組織は官僚化し組織の利益が優先され、外部との境界線を引きはじめ硬直化する。
やがてそのことにより組織は衰退し消滅していくか、分裂して別の勢いを取り戻すかに向かう。
根本は生命の自己同一性、自己保存の力と同じ原理の働きかもしれない。

組織、団体は専制的である
======================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/



マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタントへ
にほんブログ村

FC2ブログランキング

何が悪いんだと開き直る人々

「歴史は繰り返す」人間一人の生涯はどんなに長くても100年前後だ。
人が亡くなれば、その人が実際に経験した真実、リアルが失われる。
現在、日本において戦争体験者、被爆経験者の減少が問題になっている。
なぜなのか、それは言葉で伝えらえることは、ごく僅かにすぎないからだ。

この夏、長崎で二人の被爆者が相次いで亡くなった。
一人は元長崎大学長の土屋さん、もう一人は日本原水爆被害者団体協議会代表委員の谷口さんだ。
二人は共に自らの被爆体験から、核廃絶運動の先頭を走ってきた。
多くの平和運動に携わってきた人々の喪失感は計り知れない。

私の母の兄は四人、全員戦争に駆り出されたが二人は戦死している。
一人は東京工業大学の学生で親自慢の秀才だ。
東京から戻ると休む間もなく「父、母はどこにいる?」と言って親の手伝いに向かう人だったいう。
「俺は戦争にいかないから、大丈夫」と両親を励ましたが終戦が間もない頃に召集され、
大陸に向かう船の中で、攻撃を受け戦死した。
訃報を受けた祖父の悲しみと落胆は激しく、1週間以上床から出てこなかった。
と80過ぎの母は語る。

母は長野の片田舎の小さな村の出身だ。
私が生まれた時は、すでに祖父も祖母も他界していたが仏壇に両親と一緒にならぶ、
若者二人の遺影写真は、いつも私に何かを語りかけてくるようだった。
叔父の一人は、シベリアで長く抑留生活を続け日本に帰った時には社会になじめず、
長い期間引きこもったと聞く。

長野県は先の安保法制の解釈改憲に県をはじめ、各市町村の議会の多くがいち早く反対の表明をした。
太平洋戦争においての都道府県別の戦死者数は長野県が一番だ。
日本の中でも東北にならび貧しい県である長野では多くの若者が志願して戦地に赴いたのだろう。
その痛みは、私のような世代まで記憶として刻み込まれている。

現実にあったこともない祖父母、あったことのない戦死した叔父達、
それでも身近な人を理不尽に失うことへの憤りは、確かに私の中にある。
正直、私の子ども達に何処まで伝えられるか自信はない。
しかし、おそらく彼らは権力を信用していないし、日本が戦争に向かうことは勿論、携わることも反対だろう。
とは言え、この程度しか、祖父母や叔父達の無念は伝えられない。
それが言葉の限界だ。

北朝鮮の核兵器やミサイル開発を受け、
「米国の核兵器の国内配備を議論すべきだ」
「敵基地攻撃能力を持つべきではないか」という声が一部の政治家から上がる。
先の大戦の大きな犠牲から学んだはずの謙虚さ、自嘲、冷静さ、客観性、弱者である故の生き方など、
「何が悪いんだ」と大きな声で開き直る人々は忘れたのか、学ばなかったのか。
いつの時代にも、このような愚かな人々が存在してきたのです。

そして、なぜか止められない悲劇が起こる。
今回の衆議院選挙がこの愚かの人々を更に活気づけ、大きな声、勇ましさがもてはやされるようになれば、
地獄の再現はあるのかもしれません。
不思議なことに我々は不安や怖れが強くなると、自我を守るために狂暴になるのでしょう。

何が悪いんだと開き直る人々
=========================

無料メルマガ『ほぼ日刊社長の仕事』の登録はこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/mail/

HPはこちらから ↓
http://www.isseyhonda.com/



マーケティング・経営 ブログランキングへ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタントへ
にほんブログ村

FC2ブログランキング
プロフィール

イッセイ・ホンダ

Author:イッセイ・ホンダ
経営コンサルタント
全米NLP協会公認トレーナー
「社長のビジョンの実現」「社長の参謀、軍師」として経営をサポートしています。このブログで新しい皆様との出会いがあれば大変嬉しいです。

HPはこちらから
   ↓
http://www.isseyhonda.com/

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR